自社を売却するといくらになるのか、M&Aの株価算定の見当がつかず不安な経営者は少なくありません。中小企業庁や日本公認会計士協会が示す評価アプローチを押さえると、算定額の意味や交渉の目安がつかめます。
特に押さえておきたいのが、中小企業のM&Aで実際に使われる算定方法と、混同されやすい相続税評価との違いです。算定額はそのまま売却額にならず、当事者同士が合意した金額が最終的な譲渡額となります。仕組みを理解しておけば、専門家との対話にも落ち着いて臨めるはずです。
M&Aの株価算定とは|企業価値評価の位置づけと近年の動向

株価算定とあわせて押さえておきたいのが、譲渡の手法(スキーム)です。中小企業庁はM&Aを、合併や会社分割といった組織再編に加え、株式譲渡や事業譲渡を含む各種手法による事業の引継ぎと定義しています。手法ごとの特徴は「会社分割と事業譲渡、あなたの会社に最適な選択は?」で詳しく解説しています。
株価算定(バリュエーション)とは何か
株価算定(バリュエーション)とは、企業または事業の価値を定量的に評価することです。 中小企業庁は、その評価額を中小M&Aで譲渡額を決める際の「目安の一つ」と位置づけています。評価手法にはさまざまな種類があり、企業の実態や事業の特性に応じて選ばれる仕組みです。
算定額はそのまま売却価格にならない
中小M&Aでは、簿価純資産法・時価純資産法・類似会社比較法(マルチプル法)などで算定した価値をもとに譲渡額を交渉するケースが多くあります。ただし算出された金額がそのまま譲渡額になるわけではありません。交渉の結果、算定額に利益を加算する場合もあり、最終的に当事者同士が合意した金額が譲渡額です。
日本のM&Aは増加傾向にある
中小企業庁「2025年版中小企業白書」によると、2024年の日本企業のM&A件数は過去最多の4,700件となりました。全国の事業承継・引継ぎ支援センターでも、令和6年度の第三者承継の成約件数は2,132件と過去最多を記録し、累計は12,306件に達しています。M&Aは決して他人事ではないテーマです。
出典:中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)-第三者への円滑な事業引継ぎに向けて-」 出典:中小企業庁「2025年版中小企業白書」第2部第2章 出典:中小企業基盤整備機構「令和6年度に認定支援機関等が実施した事業承継・引継ぎ支援事業に関する事業評価報告書」
企業価値評価の3つのアプローチ(コスト・マーケット・インカム)
企業価値評価の手法を整理するときの基本となるのが、日本公認会計士協会が示す3つの評価アプローチです。同協会のガイドラインでは、一般的に「コストアプローチ」と呼ばれるものを「ネットアセット・アプローチ」と呼びます。株式価値の基礎となる純資産の中身については「利益剰余金と内部留保の3つの違いとは?計算方法や増やし方、活用術まで徹底解説」も参考になります。

コストアプローチ(ネットアセット・アプローチ)
ネットアセット・アプローチは、貸借対照表に記載された純資産に着目して価値を評価する方法です。代表的な手法には、貸借対照表の純資産をそのまま株式価値とする簿価純資産法と、資産・負債を時価評価して算定する時価純資産法があります。中小M&Aでは特によく使われるアプローチです。
マーケットアプローチ
マーケットアプローチとは、類似する上場会社や取引事例と比較して相対的な価値を評価する手法を指します。代表的な手法は、株式の市場価格を基準にする市場株価法と、類似する上場企業の株価などをもとに一定の調整を加えるマルチプル法(EV/EBITDA倍率法など)です。EBITDAは簡易的に「営業利益+減価償却費」で算定するケースが多く、「償却前利益」とも呼ばれます。
インカムアプローチ
インカムアプローチは、評価対象会社から期待される利益やキャッシュフローに基づいて価値を評価する方法です。代表的な手法には、将来のキャッシュフローを現在価値に割り引くDCF法や、期待される収益を割り引く収益還元法があります。将来の収益力を反映しやすい特徴を持つ手法です。
3つのアプローチの特徴と使い分け
日本公認会計士協会によると、客観性はマーケット・ネットアセットの両アプローチが優れ、将来の収益獲得能力の反映はインカムアプローチが優れる傾向にあります。ただし個々の状況によって評価は全く逆になることもあると注記されており、絶対的な優劣として捉えるべきではありません。同協会が総合評価の方法として示すのは、特定の評価法を単独で用いる単独法と、複数の評価法を用いる併用法・折衷法です。
出典:日本公認会計士協会「企業価値評価ガイドライン」(経営研究調査会研究報告第32号) 出典:中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)-第三者への円滑な事業引継ぎに向けて-」 出典:中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)参考資料2 中小M&Aの譲渡額の算定方法」
中小企業のM&Aで実際に使われる株価算定方法(時価純資産法と「年買法」)
中小企業のM&Aでは、時価純資産法で算定されるケースが多いと中小企業庁が整理しています。そこに数年分の利益を加算して譲渡額の目安とするのが実務の一つです。加算対象となる利益の考え方は「経常利益と営業利益の5つの違いとは?計算方法から企業の健全性を見抜く方法まで解説」でも解説しています。

中小M&Aでは時価純資産法が選ばれやすい
中小企業庁は、中小M&Aの場合は時価純資産法で算定されるケースが多いと整理しています。時価純資産法は資産・負債を時価評価し、簿外資産・負債も含めて純資産を算定するため、対象企業の実態を把握しやすい手法です。ただし時価算定にコストと時間がかかるため、不動産や有価証券など一部の資産・負債のみを時価評価する修正簿価純資産法が使われることもあります。
いわゆる「年買法」と呼ばれる考え方
時価純資産法(または簿価純資産法)で算定した純資産に、数年分の任意の利益を加算した金額が譲渡額となるケースです。加算する利益の種類(税引後利益または経常利益等)と年数は、中小企業庁の資料では「通常1年〜3年」となっており、事例ごとに異なり交渉によって決まるケースが多くあります。
「年買法」という名称は公的な算定基準ではない
「年買法」「年倍法」という名称自体は、中小企業庁や日本公認会計士協会の公的資料には見当たらない、いわば実務上の呼び名です。名称自体は公的に定められた算定基準ではありませんが、時価純資産に数年分の利益を加算するという手法自体は、中小企業庁も参考資料で説明しています。名称の一人歩きに惑わされず、手法の中身で理解しておきましょう。
出典:中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)参考資料2 中小M&Aの譲渡額の算定方法」 出典:中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)-第三者への円滑な事業引継ぎに向けて-」
相続税の株式評価とM&Aの株価算定は何が違うのか
相続税の申告で算定した自社株の評価額を、そのままM&Aの売却額の目安だと思い込んでしまうケースは少なくありません。実はこの2つ、評価の目的そのものが異なる別物です。

財産評価基本通達による評価は「相続税・贈与税」の課税目的
国税庁のタックスアンサーNo.4638は、取引相場のない株式の評価について「対象税目:相続税、贈与税」と明記しています。日本公認会計士協会も、財産評価基本通達による評価は課税目的であるとして詳しく述べていないとしています。M&Aの株価算定とは、そもそもの目的が異なる評価です。
相続税評価の3つの方式(類似業種比準・純資産価額・配当還元)
相続税評価では、総資産価額・従業員数・取引金額により会社を大会社・中会社・小会社に区分します。大会社は原則として類似業種比準方式、小会社は原則として純資産価額方式、中会社は両方式を併用して評価する仕組みです。同族株主以外が取得した株式は、規模にかかわらず配当還元方式で評価されます。
「純資産価額方式」と「時価純資産法」は似ているが同じではない
中小企業庁の整理によれば、相続税評価で使われる純資産価額方式は時価純資産法に「類似」しており、税理士の業務知識でも対応可能な範囲です。ただし「類似」であって「同一」ではありません。課税目的の評価と譲渡額を決める目的の評価では前提が異なるため、相続税評価額をそのままM&Aの売却額の目安にするのは誤りです。
出典:国税庁 タックスアンサーNo.4638「取引相場のない株式の評価」 出典:日本公認会計士協会「企業価値評価ガイドライン」(経営研究調査会研究報告第32号) 出典:中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)-第三者への円滑な事業引継ぎに向けて-」
仲介者に任せきりにしない|株価算定を依頼する専門家の選び方
算定額は、誰がどのような立場で出すかによって性質が変わります。仲介者に相談する際は、この点をあらかじめ踏まえておきましょう。

仲介者は「確定的なバリュエーション」を実施すべきではない
中小M&Aガイドラインは、両当事者を依頼者とする仲介者は確定的なバリュエーションを実施すべきではないとしています。仲介者が示す簡易評価はあくまで概算額・暫定額であり、必要に応じて士業等専門家の意見を求めるよう伝える必要があるとされています。算定額を鵜呑みにしないという視点を持っておきたいところです。
M&A支援機関登録制度で仲介者・FAを見極める
M&A支援機関登録制度は、中小M&Aガイドラインの遵守宣言等を要件として2021年8月に運用が始まった国の制度です。2026年3月現在、M&A専門業者(仲介・FA)約1,200者を中心に、約3,400者が登録しています。登録要件は、ガイドライン遵守の宣言や、手数料体系・実績の公表への同意などです。
迷ったときの公的な相談窓口
M&A支援機関登録制度には、登録された仲介者・FAの不適切事例等の情報を受け付ける情報提供受付窓口が設けられています。中小M&A全般の相談先としては、事業承継・引継ぎ支援センターという公的な窓口もあります。どこに相談すべきか迷う場合は、まずこうした窓口に問い合わせてみましょう。
出典:中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)-第三者への円滑な事業引継ぎに向けて-」 出典:中小企業庁財務課「中小M&A市場の改革に向けた方向性について」(2026年3月17日)
株価算定を進める際に押さえておきたい考え方
算定はあくまで「目安」であり、依頼者の納得を得るプロセスを経て進みます。株価算定の仕組みを理解したうえで、譲渡額そのものを引き上げる打ち手を知りたい方は「企業価値を高める方法とは?M&Aを見据えた自社株評価と財務改善の実践ガイド」をご覧ください。

評価の手法や前提条件は依頼者に事前に説明される
中小M&Aガイドラインは、バリュエーションの実施にあたり評価の手法や前提条件を依頼者に事前に説明し、価格帯についても納得を得ることが必要だとしています。その手法や価格帯が唯一のものではないと明示される必要がある点も押さえておきましょう。算定額を鵜呑みにせず、根拠を確認する姿勢を持っておきたいところです。
小規模な会社でも株価算定・M&Aの対象になる
「自社の規模ではM&Aの対象にならないのでは」と考える経営者は少なくありません。事業承継・引継ぎ支援センターの成約企業を見ると、売上高1億円以下が6割超、5億円以下が9割超を占め、従業員数10名以下が全体の7割にのぼります。小規模な会社であっても、株価算定やM&Aは十分に検討できる規模です。
出典:中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)-第三者への円滑な事業引継ぎに向けて-」 出典:中小企業基盤整備機構「令和6年度に認定支援機関等が実施した事業承継・引継ぎ支援事業に関する事業評価報告書」
株価算定と税金|株式譲渡益にかかる税率(2026年7月時点)
株価算定で株式価値の目安が見えても、実際に株式を譲渡すれば税金がかかります。ここでは2026年7月時点の税率の考え方を確認していきましょう。

非上場株式の譲渡益には20%の申告分離課税
非上場株式は税法上「一般株式等」に区分され、譲渡益には20%(所得税15%、住民税5%)の税率で申告分離課税が適用されます。申告分離課税は、給与など他の所得金額と合計せず、分離して税額を計算し、確定申告で納める方式を指します。上場株式等と税率自体は同じですが、区分としては別物です。
復興特別所得税を合わせた実質的な税負担
平成25年から令和19年までは、復興特別所得税として基準所得税額の2.1%を所得税と併せて申告・納付します。実質的な税負担は、所得税15%・復興特別所得税(所得税額の2.1%)・住民税5%を合わせた合計20.315%となります。国税庁が「20.315%」という単独の税率を定めているわけではなく、内訳を合算した数値です。
出典:国税庁 タックスアンサーNo.1463「株式等を譲渡したときの課税(申告分離課税)」 出典:国税庁 タックスアンサーNo.2240「申告分離課税制度」 出典:国税庁「個人の方に係る復興特別所得税のあらまし」
Encoachについて
Encoachは、財務・会計・税務の専門知識をもとに、中小企業の経営者に伴走する法人向けサービスです。M&Aの株価算定や譲渡額の交渉は専門用語も多く、一人で判断するのは簡単ではありません。Encoachでは、決算書の読み解き方から資金繰り、経営者としての意思決定まで、実務に即した視点でサポートしています。財務・会計・税務でお困りの際は、LINEからお気軽にご相談ください。
M&Aの株価算定についてよくある質問
Q1. M&Aの株価算定とはどのような方法で行うのですか?
M&Aの株価算定は、日本公認会計士協会が示すインカムアプローチ・マーケットアプローチ・ネットアセットアプローチという3つの評価アプローチをもとに行われます。将来の収益力、類似する会社との比較、貸借対照表の純資産という、それぞれ異なる視点からの評価です。
Q2. 株価算定で算出された金額が、そのままM&Aの売却価格になりますか?
いいえ、そのまま売却価格になるわけではありません。中小M&Aガイドラインでは、算定額をもとに交渉した結果、当事者同士が最終的に合意した金額が譲渡額になるとされています。算定額はあくまで交渉の目安の一つです。
Q3. M&Aの株価算定は誰に依頼すればよいですか?
中小M&Aガイドラインは、両当事者を依頼者とする仲介者は確定的なバリュエーションを実施すべきではないとしています。依頼先を選ぶ際は、M&A支援機関登録制度に登録された支援機関かどうかを確認する視点も参考になります。
Q4. 相続税の株式評価とM&Aの株価算定は何が違いますか?
財産評価基本通達による評価は、国税庁のタックスアンサーNo.4638で「対象税目:相続税、贈与税」と明記された課税目的の評価です。一方でM&Aの株価算定は譲渡額を決めるための評価であり、両者は目的そのものが別です。
Q5. 中小企業のM&Aでよく使われる株価算定方法はどれですか?
中小企業庁は、中小M&Aの場合は時価純資産法で算定されるケースが多いと整理しています。そこに数年分の任意の利益(通常1年〜3年分)を加算して譲渡額の目安とする実務もあります。
まとめ:株価算定の仕組みを理解して納得のいくM&Aを実現しよう
M&Aの株価算定は絶対的な正解を出すものではなく、当事者が納得して合意するための目安です。中小企業庁や日本公認会計士協会が示す評価アプローチと、相続税評価とは目的が異なるという原則を押さえておけば、仲介者や専門家との対話も対等に進められます。算定額を鵜呑みにせず、複数の視点で確認する姿勢を持ちましょう。まずはお気軽にご相談ください。